ワッハ上方へ又落語を聴きに行って来ました♪
流石にこの時節とも成れば近くの通りの欅の街路樹も其れは見事に色づいて居ました
御堂筋の銀杏並木なんて風の強い今日はまるで吹雪の様に葉を散らしています
歩道に積もった黄色の絨毯を足で蹴りながら歩いている年配の御婦人に微笑みが浮かびます
無闇矢鱈歩道に停めてあった自転車がすっかり無くなりました
大阪市 余りの酷さに取り締まり強化したのでしょうか?
お陰で通りはすっきり 実に歩きやすく成りました
でも駐輪場が近くに有る訳では無し裏通りに移動しているのかも知れませんが★
歩行喫煙禁止の御堂筋避けて煙草吸いたければ一本道ずらす私も同じ事しているんですかね▼
マッ 喫煙禁止の事言い出すと私の側も言い分有って話長く成りますから触れないで置きます★
国の予算の仕分けにしたって同じ事 要求通りの予算認められれば問題無いですがそれでは又膨大な借金増えるのは必定
政府が是だけでやろうと決めたからには何処かで折り合い付けなければ成りません
日本の将来の事も勿論大事ですが現在の不具合や切羽詰った物は当然改善しなくちゃいけません
アハハ 是もムツカシ話 其れを解決する為に政治家選んだのですからマッ暫く静観してましょ♪
腐り切った自民党で何十年も空しい思いしたのですからまだ出来立ての政権に文句を付けるのは良策とも思えませんもんね☆
自民政権の時 さんざ批判した某新聞社と好意的な顔していた新聞社が今は逆の立場
是が滅茶苦茶面白くて政治ニュース見る時は苦笑や大笑いです♪
其れはさて置き話は見て来た落語に戻りますがこっちは笑う話を聞きに行ってチョッと気分害した事在ります
本命の噺は古典ですと噺の筋決まっていますから是は触れないとして♪
枕の事です
枕で師匠の事褒めたり自分の失敗談なんてのは誰でもする事かも知れません
其れは個人的には余りお洒落とは思いませんが そんなに問題でも在りません
しかし観客を弄ると言いますか馬鹿にした枕を使う人が結構居るのです 関西は特に其れが多いように思えます
若手には特に目立ちます 其れも他の人が使ってる枕と同じ客いじり 是は頂けません★
関東ではその昔 ツービートが毒舌で客沸かせましたが余り当日来ている人を笑いの種にはしなかったと思うのです
綾小路きみまろなんてのも中年おばさんに愛情込めた辛らつさ売りですが其れが噺のネタ 枕では在りません
だから当日来ている人にだけ的絞って話している訳じゃないでしょ だから客笑います 貶されている御婦人がです☆
高齢化社会となれば 寄席に来る人高齢者の人多くて当たり前 其れをいじるのは失礼も良い所です
其れを 前座や二つ目クラスがぬけぬけと言うなんざ客舐めてます 真打でさえそんな奴が居ますがムカムカします★
師匠や兄弟子や他の一門の人が使っている新作?の枕 是を言うのも白けます
春団治さんが得意とする“代書屋”も米朝さんの作だと聞いています
でも その辺りは如何成っているのか知りませんが米朝さんが余り話されて居ない様に思います
春団治さんに噺を譲ったのか もうかなり前の落語ですから古典に成った?マッ少し抵抗在りますが言いますまい
古典でも大御所が得意とされるものは遠慮して他のお人余り話されないのが礼儀とも聞いています
余り神経質に成る事じゃ無いのかも知れませんが違和感覚えます
徒弟制度がギタギタに残る落語の世界だから新作落語でも許せる?ほんとにそうなんでしょうか?何か違う気がします
落語ってのは噺の最後に落ちや下げと言って張り詰めた空気を開放して終わるそんなスタイル多いです
色んな形の落ちが有るのですが 私是に白眼視しています 駄洒落で終わる物多いですしね
マッサージの最後に肩をポンと叩いて終り宣言するような物かも知れませんし其れが伝統だから?
でも 江戸前でも上方でも如何も粋じゃ無い気がして成りません
人情話では落ちが無いものも多くあると聞いています
人情噺では有りませんが 上方落語の“三十石”では『三十石夢の通い路でした♪』で終わる事多いです カッコイイ〜〜〜☆
下手に駄洒落で終わるより余韻を感じさせる終わり方の方が断然個人的には好きです
アハハ 笑う噺を聞いていて笑えないムツカシ事思っていました
其れと ワッハ上方のライブラリーに文珍さんのDVDが一枚も無いのです 何か訳有るのでしょうかねぇ?
上方落語の次代の第一人者文珍さんだと思う私 その人の噺を置いてないというのは
ワッハ上方移転と同じく別の思惑有る気がして仕方ないのですけど★
著作権や発行元の関係もするのでしょうけど如何も上方落語の問題点の一つ見たいな気がして成りません
ギロギロと疑惑の眼差しです アハハ是も笑えないムツカシ話なんでしょうかねぇ★