ボクサータイプとファイタータイプ


勝負の世界は経過が如何あれ勝たなければ何の値打ちも有りません

時の運も有るでしょうし どう戦ったが評価を受ける事もあるでしょうけど

そんなものは敗者に対する憐憫や慰めでしか有りません

ヒールに徹し様と勝てば人はそれなりに敬意も賞賛も浴びせてくれます


ボクシングで技巧派のボクサータイプの人は華麗なステップを見せます

技術を磨きポイントを稼ぐそんなスタイルだから理知的な物静かな人が多いでしょ

職人気質とでも言うのでしょうか?コツコツ自分作り上げていくそんな感じ受けます


ファイタータイプの人は力で荷車押していくようなものでしょうか

一発のパンチに磨き掛けそれいけドンドンですからサラブレットの華麗な走り見せませんが

ばんえい競馬のブラバンソンを見てるようです


でもどちらのタイプでも相手に勝たなきゃ持て囃される事は有りません

スポーツに限らず囲碁,将棋の世界でも同じです

呉清源.藤沢.坂田さん等過去に華麗な石の運び見せる棋士多く居ました

其れにも増して力強い囲碁を打ち勝てたから人は評価したのです


勝負の世界は芸では有りません

只ひたすらに相手を打ち負かす 其れが全てです


運動力必要なスポーツは年齢的な体力の衰えどうにも仕様が有りませんが

知能ゲームと言われる物でも年が行けば脳の働きも緩慢になり戦闘意欲も段々削がれて行きます

勝負の世界では消え去る時期です


所が勝負を離れて愉しむ囲碁を打ち出すとこれは全く違う世界です

勝ち負けなんて問題じゃ有りません 一局の碁にその人の人生が凝縮されるような気に為ります

対局態度や風格がものを言うような気がします 


これは勝負の世界の話じゃありませんが

落語の林家三平さん,桂枝雀さんそれは面白い爆笑落語をする人達でした

今に成って思えば彼らはTVと言うメディアの世界で勝負をして居たのじゃないかと思うのです

ファイタータイプの落語家です 血みどろの殴り合いしていたように感じます 誰にって?自分にです

三平さんが病気で倒れた後 復帰は古典落語に挑戦でした 

結局中途半端に終りましたがファイターで過せる時期じゃないと感じたのかもしれません

それは枝雀さんにでも言えること 

そう面白いものでも無い噺を笑わせる事に形振り構わず邁進した そんな感じでした

ある時期に成ってファイターの噺をボクサータイプの華麗な物に変えて行く事を思って悩んだのかもしれません

桂文楽でも三遊亭円生でも古今亭志ん生でもボクサータイプの人です

大阪では桂文枝さんがそうでした ガハハ私の大好きな3代目春団治さんもです


噺も舞踊のような物だと思うようになりました 

フラダンスやフラメンコを踊っていた彼らが年齢と共に日舞の粋に憧れを持ってジレンマ感じた?

そんな気がして成りません

タレントが芸の職人に帰ろうとしたのかもしれません

年を取るってそんな事かなぁと今に成って感じてます 

建築設計の世界でもファイターばかり目立ちますが

“僕さァ♪ボクサー〜〜♪”の人のもの見応え在る年代に成って来た自分を感じます 

アハハ 良いのか悪いのか?This is Question◎です

実業家,芸術家,そしてサラリーマン&この私メ! 勝負の世界とは違うかもしれませんが別の機会に・・・♪