ちっとも嬉しくも無い68回目の誕生日だ★50歳過ぎてから毎年むさい思いをしている
何時も若々しい気持ちと体力持ちたいと願っているが 毎年少しずつ年を重ねる自分からそんな物が失われるのが判るだけに辛い
そうも長生きしたいとも思わないし何時死んでも構わないのだけど まぁ親父よりは長生きするだろうと漠然とそんな予感する
どっちにしても後20年は所在確かにして生きているだろうと思ってるけどね☆
この間 あるサイトで邦楽の歌謡曲部門のランキングを見ていたんだ
山口百恵の『さよならの向こう側』って歌が今頃何故か上位に成ってるんだ
この歌は私は知らなかったが彼女が結婚を機に芸能界を引退する惜別の歌?そんな感じの曲だ
吾亦紅のヒット以来故人を偲ぶとか自分の過去を振り返るって歌矢鱈増えた気がするけどこの歌も別の別れを連想して
今人気になったのでは無いかと思っていたんだ
実は後から知ったのだけど私も個人的にこの歌には思い入れがある
2006.8.15日に書いたが以前付き合いの有った彼女が遺書代わりに私に別れの日記を書いていてくれたのだけど
最後のフレーズにこの歌詞の英語の部分を使っていたのだ
彼女もカラオケは得意だったと後で聞いた だから歌の歌詞も良く知っていたのだろう
短歌が趣味で そっちは自作も多いし百人一首も歌と内容と読んだ人を知っていたと言う話だ
だから人の作った歌詞の一部など載せないでも自分の言葉で別れの日記書く位わけなかったろう
でも もう自分の寿命知った時 このさよならなの向こう側が別の思いで強烈に印象に残ったのでは無いかと思っている
彼女は自分では不遇の時代を長く過ごしたと思っていたらしい ある事情有って男嫌いを通して来た人だと知った
私を知って何処が気に入ったのか知らないけど好きにも成ってくれた 私との新生活に期待も掛けていたと聞いた
其れが身体の変調で病院入院したが単なる風邪程度と思い 死ぬ事など思いも掛けなかったに違いない
私もそうだ 其れは元気な人でバリバリ仕事もしてたし過労だったのでは無いかと楽観していた
直ぐに沖縄へ転地療養 沖縄の病院で見て貰ったら癌だと判った 進行性早かったのか片肺を除去かも何て話出た
何の事はない 京都でそんな事百も承知 もう如何仕様も無い位の状態でターミナルケァだったんじゃないかと後に成って思ったけどね
一番ショックだったのは彼女だったろ 簡単に思っていたのが日本髪結えるほどの自慢の髪を切られ物々しい医療体制
途中で死の宣告も受けていたのかも知れない 私は其れこそそんな事思いもしないからのんびりしていたけど★
その時の彼女は其れは深い絶望に苛まれたに違いない 気丈な人だったから自分の死後の事弁護士と相談漏れの無いように遺言書作成し
完璧の状態で死を覚悟していたのだろ 其の彼女が別れの言葉として書いた日記に書き入れたこの詩をどんな思いで読んでいたのだろう?
これ書いた頃はもう癌の末期症状 痛みも有ったろうし死の恐怖にも不安をも感じていたことだろう
さよならの向こう側・・・どんな世界が待ってるのか そんな思いを胸に私に残した最後のメッセージだったのだ
肝心の私は彼女が死ぬ事なんて全く考えていなかったのだから危篤状態になって初めて事の重大さに気が付く有様★アホだね〜〜●
魂の存在信じてない私は勿論生まれ変わりなんて事も信じてない 信じていれば次の世で・・・何て気の利いた事も言えるんだけど
でも彼女の別れ言葉のハートはちゃんと受け取った気に成ってる 彼女からすればさよならの向こう側は 今の私のこっち側?
その私は相も変わらず中途半端でだらしないし 先如何成るか判らないけど付き合う人も出来たしね
一年と言う短い時間 其れもわざわざ私の顔見に来てくれたのに私は其れも知らず遂に一度も顔見ないで去った人
しかし これほど強烈な印象を残してくれた人に感謝もしてるし共有した時間も其れは貴重だったと感じている
さようならの向こう側は背中におぶさる背後霊だけの薄っぺらな世界かも知れないけどまっそれで我慢して貰おうか♪
焼餅焼きだったけれど其れは素晴らしい人だったと一生忘れないしそれだけで堪忍して貰おう♪
忍ばずの恋とさようならの向こう側は其の彼女の歌として私の座右の歌にして置きたい
今日の誕生日記念ともう直ぐ来るお盆に供養の積りでこの日記を書いたんだ
アハハ 化けて出ないで貰いたい♪いや出て来て欲しいかな ニコッ♪