古道を歩く楽しみ♪


京街道を歩くの最後を今日やりました
アハハ 伏見〜大津間はちっとも興味無いのですけど我地元から大阪まで是はしないと落ち着きません
古道らしいと感じては居た通りも在るのですけどそれが京街道という名前とは知りませんでした
守口市役所の裏辺り 本町一丁目辺りが昔の街並みまだ残って居ます
京街道の終点が高麗橋だそうです
高麗橋と言えば道修町辺り何度訪ねたかもしれません
大阪で如何にも昔の大阪見られるのはその辺から土佐堀川畔に掛けてです


午前9時出発 天気も良いし体の疲れも回復してましたから意気揚揚と歩き始めました
しかし 古道を歩くってのは何となく魅力が有ります
神社.仏閣に余り興味有りませんから其の街道に古刹が有ろうと余り熱心には見ません
しかしながら町屋造りの草臥れた民家見るだけでなんかウキウキしちゃうのです
古道ってのは道幅も狭く通りも直線と言うのは少ないです
微妙にカーブがあり建物新しくても通りに何かしら味が有るのです
其の中で健気に長期間風雪に耐えた建物が存在しているだけで嬉しくなっちゃいます
戦火から逃れ軒裏の漆喰が真っ黒に成っているのを見るだけで『お前は偉い!』と誉めてあげたくなります


外壁にスクラッチタイル貼り付けてある普通の民家 多分大正か昭和初期の建物でしょ
其処に原色のテント庇が有ったりするとミスマッチが又何となく微笑ましくなるのです
半分風化した道標に右 京へなんて文字見ると丁髷して道中合羽に三度笠の旅人が彷彿と思い出されるんです
其れが良くて古道を歩くのが愉しいのかもしれません
惜しむらくは道路が判り難い個所が有る事です 
勿論昔の道は既に無くなっている所も有るでしょうがもう少し標識こまめに有って迷わないで行けたらと
ブツブツ言いながら歩いていました
野江から京橋は全く判らなかった位です
枚方で鍵屋を見て初めて京街道の存在知ったのですから 歴史にも世間にも疎い自分を見付けただけでも
淀川歩いて良かったと思っています


歩くと言うのは原始的な移動方法かもしれませんが体力維持のウォーキングと違い
自分を見付ける事が出来る貴重な方法じゃ無いかと思うのです
団塊の世代にそんな事が大流行で古道の走破や四国遍路が賑わってると聞きましたが
確かに歩いている時は色んな事考えさせてくれます
物を見詰める事も高速で移動じゃ無いですからじっくり見られます
其れが強いては自分の生き方までも見直す事出来るのじゃ無いかと思う訳です


何も知らずに過去に其の古道を断片的に歩いた事有りますが
通しで歩くとそれらが一本に繋がってきちんと整理された気に成るのも不思議な感じがしました
司馬遼太郎さんが街道を行くって本シリーズ化してましたが
古道の散策の面白み十分判っていたからだと初めて実感できました
時代小説書いたお人ですから歴史にも強く益々道に興味持たれたのかも知れません
町内歩くには目が彼方此方に行ってそう距離感じませんでしたけど田舎道は遠い〜〜実感です★
京橋で一応切り上げましたが 高麗橋までの最後の区間 何れ又徘徊の折散策するとして
京街道を歩く完結にします アハハでも本当に楽しゅう御座いました 花マルでした♪