貧乏神は大親友

日本永代蔵と言う本読んでいるとこの間書きましたが昨日の日記はその影響大です

ガハハ 単純な私メ見た事聞いた事で納得すると咀嚼もせず言ってしまう傾向ありです


1620年辺りは徳川2代将軍秀忠と大阪城築城で知ったばかりででした

この本は1688年に書かれたそうですけど 何度も日記に書いた大阪の淀屋5代目が取り潰しにあった頃です

その話も出てきますし 三井が江戸で商売を始め成功していく様も書いて居ます

西鶴は流行作家だったのでしょうけどこの本は商売のやり方を示したビジネス書でしょうか

今読んでも十分通用しそうな気がします


その中で『巻四 一 祈るしるしの神の折敷』に貧乏神が出て来るのです♪

日頃ビンボーから逃れられない私には注目のページでした


京都の上京区桔梗屋と言う小さな染物屋夫婦が居た

商売を大事にし正直一途に工夫し少しも休まず働いたが家業は中々伸びない

余りの貧乏さにプッツンして『福の神を祭るのが世間相場だが人の嫌う貧乏神を祭ろう』なんちゃって

わら人形をこしらえ着物を着せ頭巾を被らせ破れ団扇を持たせて神棚に安置して精一杯持て成した

この夫婦の心使いに貧乏神余りの嬉しさで亭主の枕元に姿を現したのだ

『わしは今まで貧家を廻る役目でこれぞと思った家にはずっと居着いて暮らして来た

だが一度足りと誰も相手にはして呉れなかった それがご馳走を振舞われこうして祭っても呉れた

こんな事は生涯初めてでこの恩は忘れる事が出来ない この家の貧銭を贅沢な金持ちに回し繁盛させてやろう

世渡りに色々な業が有るが柳は緑,花は紅だ』と最後の文句を何度も繰り返した

桔梗屋はこれをお告げで紅は紅染めの事だろうと 工夫を重ね甚三染めを発明し家業にも益々精を出し

長者になった 

マッそんな話ですが西鶴は飽きずに商売を為し工夫を重ねろと言っているのでしょ

アハッ 今まで自分がしてきた商売のやり方が間違っていたんだよと言われてるような気に成りました

だから 貧乏神もう一生大親友で居るのかも知れません

が、しかし負け犬の遠吠え,曳かれ者の小唄かもしれませんが贅沢をせず慎ましくしていれば生きて行く分には

何とか格好付きます

元気ですから本業の建築の仕事が景気の落ち込み,年齢から来るハンデが有ったとしても

仕事厭わす何でもすればそう心配はいりません

アハハ 此処は一番貧乏神祭って貧乏を愉しむそんな気持に成れば又世の中違った目で見ること可能かも♪


日頃 愉しくない人生は人生じゃ無いと思っています

気持だけはニコニコで過したいと何時も考えて居ます

アホな日記を描いて喜んでいるのもその一端!なんちゃって自己弁護しているのです


欺瞞に満ちた世の中かもしれません でも自分に正直で人に嘘も付かず生きていければそれで良し!

この先ずっと健康で笑って過せたら・・・アハハ やっぱり負け犬の遠吠えですかね?マッいいか〜〜です♪
ビンボー神とは一生涯離れられない大親友?腐れ縁かもしれません トホホ!でもニコッ♪