高津神社


9日の土曜日に谷町近くの高津神社と言う所へ行って来たのです
実は此処は関西落語にも出てくる一寸特徴ある神社です
谷町は大阪では高台に成っていて高津神社でも昔は海が見えたと聞いて居ます



実はこの神社で富籤が行われていたのです
江戸では上野寛永寺でしたかね?神社とか寺院余り好きじゃないのですけど
枝雀さんの“高津の富”と言う落語聞いて機会あらばいつか行ってみたいと想っていたのです
そこで面白いもの見たのです

 

北前船の縮尺模型です 模型と言っても日本一の船匠 何の何ベェさんが作った本格的な物
小さいですけど精巧なものです
そう言えばWTC近くの海の博物館だったかに大きな模型船有ると聞きました
北前船か如何か知りませんが何れ見てきましょう
高津神社は海運の安全を祈願する神社だったのでしょうか?絵馬も船の物何枚も有りました



北前船ってのは加賀、越前から北海道の海産物を運んだ船なんでしょうか
余り詳しい事知らないのです しかし起点.終点は大阪だったのでしょうね
金石と言う金沢の近くに銭谷五兵衛と言う人が有名です
木造船の其れは今から見れば貧弱なものですが船財閥と言われる人多く輩出しました



それで面白い話を思い出しました
うちの親父はブリキ屋でした 田舎の町の近くに宮野海運と北前船で財をなした人のお宅が有るのです
私が幼い時でそのお宅が何処にあるかも知らないのですが大層立派な屋敷だったと聞いて居ます
そこで建物を新築したのだそうです うろ覚えですから茶室だったのかもしれません
京都から数奇屋建築専門の大工さん呼んで銅版屋根の仕事親父がしたのです
施主に言われた事が有るのだそうです どれだけ時間掛かっても良い 良い仕事してくれ だそうです
屋根はシンプルな銅版の平葺きと言うものですがやり始めれば半月で終る仕事だったそうです



それじゃいかんのです なんと3ヶ月掛けたそうです
屋根材の銅版を鋏で切断する時 普通なら一度で切ってしまいます
其れが荒切り してからもう一度本切断と言う事をするのだそうです
是は返って実に難しい仕事です 1mm残して切ってもう一度その1mmを切るのですから不正確です
一時が万時この調子です 金なんか問題じゃなかったのです
職人が何人掛かってその建物完成させたか其れが自慢だったのでしょう



屋根は時間掛けても大して見栄え変わりませんが
親父が施主に大満足して貰ったのは雨樋です 
上合と言う銅版の集水器に家紋を打ち出す仕事と縦樋の水が排水溝に流れ出る末端に
蛙がその縦樋覗き込んでるそんなものを銅版で打ち出して付けたのだそうです
笑っちゃいましたがそんな話を思い出しました

高津神社 昔親父も御参りした所かも知れません 
神社なんて神の存在信じない私がただブラリ寄ってみたのですけどそこで親父想い出したと言うのは
何か縁有るのじゃないかと苦笑いしてました♪