鬼一法眼は講釈師の開祖だってぇ〜?


以前西本願寺で坊主の説教を聴くとも無しに聴いた事有ってその折噺家の前座か二つ目位だろうと思った何て日記に書いた事が有る

元々 落語の始祖ってのが 安楽庵策伝(1554−1642)と言う浄土宗の僧と言われている位だから言い方としては間違いでも無いだろう

じゃ講談はってと予ねて私が興味津々の京都の陰陽師だったと言われる鬼一法眼じゃ無かったかと言われてるんだそうだ

アハハ この人が実在したかも不明なのに講談の始祖だったとは♪

鬼一法眼ってお人は鳥羽天皇のみぎり京都で辻講釈をしたと伝承されているのだそうだ 名前を吉岡鬼一憲海だとか?

アハハ 此処まで来るとひょっとして実在したのかもと思っちゃう♪

何せ 私と来たらこの鬼一法眼ってお人に興味津々何だからなんだけど♪


吉岡何て苗字を見ると京流剣法の開祖と言われも有るんだから後の世の宮本武蔵との試合で名を馳せた吉岡一門は鬼一法眼の姓を拝借したの?何て思うしね

鳥羽天皇ってのは平安時代後期の第74代天皇(在位1107年 - 1123年)なんだそうである

義経が生まれたのは1159年と言われているんだそうだ その義経が牛若丸時代剣術を教えたと言うのだから年代的には合致してるけど

何せ出典が朧げな物ばかりだから吉岡鬼一も実在したか如何か確定出来ないんだろ★


法眼とは元々僧位を指すらしいが 僧位で言えば法印大和尚位・法眼和上位・法橋上人位 その下に一般僧の位がずらっと並ぶのだから僧ならかなり上級職?

所が平安後期には仏師・絵師・連歌師にも僧位が与えられたと言うから鞍馬山に居ても法眼と名乗っていても僧と言えない見たいだ★

でもだ 子供の頃親父から昔話として鬼一法眼の事を目を輝かせて聞いていた私としては実在の人物で有って欲しいじゃん☆

陰陽師という言わば易か呪術師の様な職業と言い講釈師の開祖と言われ京八流の剣術の開祖何て実にミステリアスな人だしね


その人物が何故か六韜三略(りくとうさんりゃく)と言う中国の兵法書を持っていて兵法家としても有名だったとか☆益々面白い♪


この六韜三略ってのが中国周の時代の太公望呂尚)ってお人が皇帝に手解きしたとと言われる兵法なんだそうだ 是も眉唾の話だそうだ★

wikpediaに寄れば 『六韜』(りくとう)は中国の代表的な兵法書武経七書の一つ

このうちの『三略』と併称される。「韜」は剣や弓などを入れる袋の意

文韜、武韜、龍韜、虎韜、豹韜、犬韜の6巻60編から成り、全編が太公望呂尚が周の文王・武王に兵学を指南する設定で構成されている

中でも「虎の巻」は、兵法の極意として慣用句にもなっている

三略』(さんりゃく)は中国の兵法書武経七書のひとつ。『黄石公記』『黄石公三略』とも称される だそうだ♪

何でこんな物を鬼一法眼が持っていたのか 

最もこの兵法書はもっと以前大化の改新(646年)の時代に中臣鎌足(のちの藤原鎌足)が暗唱するほど覚えていたと言われる位

日本に広く出回って居たのかもしれないけどね♪

余談だけど六韜三略については実に詳しく載せてらっしゃる人がおいでに成る 無断だけど紹介しておく 興味と暇有る人 ぜひどうぞ♪

http://homepage3.nifty.com/indymuseum/page094.html 

実は余りにも膨大で私も全部は読んでいないんだ 忘れると行けないのでメモ代わりに貼り付けておく ごめん!


で、私メ 鬼一法眼という人物実在していたと仮定してどんな人物だったか妄想して見た★


陰陽師兵法書を持っていて剣術教えるほどの人物 相当の学識経験者だったのだろう 

思うに諸葛孔明のような軍師を目指した人?じゃ無かったかと思うのだ♪或いは鞍馬の僧だったのかも?

一条戻り橋付近に住んでいたと言うのは多分に安倍晴明の名を意識していた 彼は宮内庁ご用達の陰陽師だけど鬼一は市井一介の野望人

安倍晴明とは時代違うだろうしひょっとすれば安倍の血を引くんだぞ何て言ってたかも知れない野心満々の人?

鞍馬が先か 一条戻り橋が先か・・・私は鞍馬に居たのが先だと思う事にしたけどね☆

言わば鞍馬は孔明臥龍庵 其処で自らの研鑽と名を上げる為の準備期間だったのだろう 

兵法を勉強し 易や天文学を学び呪術師としての下地を作り上げ剣術の稽古に精進した

偶々鞍馬に居た腕の立つ僧兵が挑んでみたら簡単に負かされちゃって師と仰ぎ京八流と言われる剣術を習い始めた


その中には義経や力自慢の武蔵棒弁慶が居たのだろう 

義経なんて大体が伝説の塊見たいな人 五条の橋で弁慶と戦ったと有るけど鞍馬で剣術仲間 ちっこい義経にやられてばかり

家柄は義経良いから家来になっちゃった そう言う事だろうと思うけどね

だから五条の橋の上の戦いは義経の箔付ける為のCM創作話♪と、言う事にしておこう うんっ!

一方 鬼一法眼鞍馬山でむさ苦しい僧兵相手にしていては目が出ない そこで一条戻り橋へ 

何ぜ御所の近く 安倍晴明の住居の傍 宮廷に売り込むのもチャンス多いだろうしね でやりだしたのが街宣活動

もう毎日 その辺りで公家や宮廷に出入りする有力者に聞こえるよう辻講釈をして売り込むチャンス狙ってた


吉岡鬼一に法眼何て名前くっつけちゃって格有る人間に見せかけようとした 

鞍馬の弟子達も師匠の下に来るんだけど剣術やるような奴は体育会系 頭の良さそうな奴は文系お勉強に忙しいしね

公家も胡散臭い奴と相手にしなかったのじゃ無いだろうか?結局芽が出ずじまい

だから 後世に実在したか如何かも不明な人物で終わっちゃった 

だけど 講釈と剣術は上手かったから両方開祖として民間伝承に至った 

こう言う事じゃないかと妄想の結論に達した訳だ アハハアントニオ立川文庫完結!目出度し目出度しだ♪


でね それらを眺めていて今度は京八流の一つ 吉岡憲法が編み出した吉岡流に流し目なんだ☆

宮本武蔵にコテンパンにやられたと有るけど なんとその後吉岡染めと言う染色業に変わっちゃってるんだ びっくり!

何時か機会見て そっちの妄想をやって見たい 佐々木小次郎祇園藤次なんて怪しげな人物出てくるしね興味津々なんだ☆ニッ!