落語通たちが噺を芸術にしちゃったのか?

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何が芸術か私には良く判りませんが 
人が自分の意思を表しそれを他の人が見て素晴らしいと感動したり琴線に触れた物が今では芸術と呼ばれている気がします
重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される様なお人はその人の持つ技術が類い稀なものとして後世にその技を継承する為 
支援と保護する そう言う意図から生まれた物でしょう
ですから 私は単純に人間国宝=職人技名人 と思っていたのです
芸術家ってのは文化勲章や文化功労賞で表彰されるようなお人 
日本では割と範囲狭いですが是がフランスの芸術文化勲章と成ると受賞した日本人は広範囲・バラエティに富んでいます


その日本の文化勲章受章者に歌舞伎俳優や演劇・映画俳優が混じり桂米朝さんが受賞と言う快挙も有りました
詰まり 俳優や落語家なども芸術家として国が認めたと言う事なのでしょう
ビートたけしさんなんかもう大威張りの芸術家です? 多分・・・そう言う事なんでしょうねぇ☆


実は 何でこんな事を書き出したかと言うと落語の質が変わって来たのじゃないかなと思ったからなんです
以前にも一度書いた事有りますが その昔 娯楽の少ない時代には彼方此方に芝居小屋や寄席が有り
庶民はその寄席で講談・浪花節浄瑠璃・民謡・落語やその他の芸を愉しんでいたと聞いています
当時はそう高学歴の人も少なく寄席なんてのは職人さんや商家のお人や横丁のご隠居さんが
気楽に芸人さんの芸を愉しんでいらした そんな程度じゃ無いかと思うんです 
歌舞伎は少しハイレベルな人と女性?役者さんなんてのはハンサム多いですから女性は放って置かないでしょ♪
昔から 歌舞伎は落語や他の演芸に比べてランク一段上 そうじゃ無かったかと思っています
落語なんて 東京や大阪・京都が中心 地方都市では余り常設の小屋ってのを聞いた事有りません


子供の頃 ラジオで聞いた落語は圧倒的に江戸前落語が多かったです
TVの時代になってもそれは余り変わらなかった様に感じます
関西の落語家さんで子供の時聞いたのは東京で活躍していた桂小南さん位でした
尤も その頃は上方落語が衰退し上方四天王と呼ばれる人が復興に努力されて居た頃だったのですかね
大阪で爆笑王と名を馳せた初代桂春団治さんや二代目春団治さん何て私の時代の人じゃ有りませんでしたしね
私が10代末の頃劇場で噺を聞いた事あるお人と言えば林家小染さんと笑福亭松鶴さん位でした
その頃はもう他に興味の有る事多かったですし落語が特に好きでもありませんでしたから余計です


TV何て日本国中ですから落語に馴染みの有る人も少なく最初の頃は初歩コース?の寿限無・時蕎麦なんてのが多かったように思います 
登場人物も八つぁん 熊さん 与太郎 横丁のご隠居さん 大家さんなんて噺を良く聞きました
暫くして人情噺や一寸高度な?古典落語が話された・・・そんな感じでしたかね


落語の世界に高学歴の人が殺到しだしたのは何時の頃だったんでしょう 何処かの大学の落研出身者が続々参入でした 
この人達がそろそろ名前が売れて来るように成って落語が変わりだした そんな風に感じるのです
それまで距離を置いていた評論家と言われる人や文化人が挙って落語や芸人の事を言い出した様に思いました 
師匠が芸術家として認知されてきたんでしょうか


寄席の艶笑話とは違う本格的古典落語や人情話をその芸術家師匠に依って大ホールの名人会や独演会でってのが俄然増えてきましたしね
噺も八つぁん 熊さん 与太郎が余り出て来なくなり客席にも八つぁん 熊さんクラスが減って来ました
噺の笑いが捻りの効いた物が増えて来て少し変化したように思うのです 
私なんか あの芸人さんが好き 面白かったで噺を聞きいていますが 
今ではネットの落語批評には薀蓄が混じり始め所謂俺は通なんだぞ〜ってお人が続出です
好き嫌いや面白いだけではなく誰かと比較 江戸前の粋 笑いのツボまで詳細に書いて居られる方増えてきました
アハハ こう言うお人が職人芸を芸術家にしちゃったのかって思っています
そんな人は笑う場所が一寸違うんです 私なんかそう可笑しくない場面で大声で笑うなんて人結構居ます
此処で笑わない奴は まだ落語の土素人ってな雰囲気も有って白けてしまうのです


芸術と職人技の違いはこの辺り何ですかねぇ♪私なんかアラ〜馬鹿 蔑損!なんでしょうね 
今時の噺家さん 俺はげぇ〜じゅつ家か〜?って思っていらっしゃるんでしょうか?
芸術であろうと無かろうと面白くて楽しめたら私はどっちでも構いませんけどね ニコニコ♪