私の年代でも徴用工や従軍慰安婦の詳細を目撃した人なんて皆無?チャンバラ・武士道・徴用工・・その2♪

2019・09・04 水 晴後曇一時雨 33.0度

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大阪の空襲で家が焼け私が疎開した先は母の実家が有る石川県江沼郡(現:加賀市片山津温泉でした
3歳の時ですから記憶も定かでは有りませんし年代的に勘違いして居る事だって有りますからこれからの話は胸張って断言出来ません
が、・・・この頃徴用工成る人を初めて見たのじゃ無いか?・・なんて後年確信に似た気持ちで思っていたのです

片山津温泉御存知の方は当然知って居られるでしょうがその昔は結構賑やかな北陸の温泉地として名を馳せていた所です
発展途上で旅館の増設も計画されて居たのでしょうけど意外と小さな町で土地が有りません
片山津には柴山潟と呼ばれるそこそこの大きさの湖が有りますがこれの一部を埋め立て土地を拡充する最中でした
温泉の神様と言われる薬師如来を奉るお寺が有りましたがそのお寺の裏山が小高い山?・・丘で埋め立てには持って来いの砂が有ります
それと隣町の潮津と言う所に会った中学校グランドの傍の丘 この2箇所を削って柴山潟を埋めた立てていたのです
その工事に携わっていた作業員の人が徴用工と言われる朝鮮半島出身の人達でした・・・遠い目の記憶です★

削った砂をトロッコ埋立地まで運ぶのです 砂をトロッコに積み込む人や砂を湖に放り込んで埋め立てする人の記憶はさっぱり無いのですが
そのトロッコに2~3人乗り込んで砂を運ぶ人の記憶が有るのです 
丘から湖はゆるい傾斜でエンジンの無いトロッコは落差でブレーキ掛けながら勝手に動いて行きます
其れが子供心に愉しそうだと思ったから覚えているのかも知れません 
砂を降ろして又丘までは今度は上りですからトロッコ押すのは重労働でしょ?そんなのも見ている筈ですが全然記憶に無いのです
果たして其れが3歳頃の記憶でその作業員の人達が徴用工と言われる人だったか確信有りません でも朝鮮出身の人たちだったのは間違い有りません
朝鮮籍の同級生の女性が何人か居ましたがその作業員の人達の子供だったと記憶しています
余談ですが この同級生の女性やもっと年下の女性が実に美人多く朝鮮の人は美人だ~~~って今でもそう決め付けるほどインパクト強かったのです
所謂土方仕事ですから作業は重労働でしょうがその人達が虐待されたり苛められる姿何て一度も目撃した事は有りませんし徴用工だと言う確信も有りませんから実にいい加減です 

勿論従軍慰安婦なんて全然知りませんし、知ったのは何か本で読んだか勝新太郎兵隊やくざって映画見てからだと思います
私の年齢でそれですから私よりもっと若い人達が知ったか振りで語るの見れば誰かの伝聞か本の受け売りで知識得ただけ
どんなに調べようと旧日本軍の恥部とも言える事実なんて殆ど隠蔽され敗戦と同時に殆ど抹消されたに決まっていますから
『問題に成りませんね~勉強してから出直しなさい★』なんて偉そ抜かす櫻井vava子なんて全く信用してないのです

何年か前に長崎県端島(通称:軍艦島)の炭鉱廃墟建築物を見に行った時案内の人から実に口ごもった口調で徴用工の事聞きましたが
その人とて私より若い人で果たしてどれほど徴用工の人の事知っているか疑問で怪しげな伝聞や偏見が今世間に罷り通っているんだろうなぁって感じています