行き当たりバッタリ人生


若い時から傾向は有ったのだけど行き当たりバッタリの行動に拍車が掛かってきた
それが縁だと思うように成ったからその瞬間こうしたいと思ったことを中々停める事が出来ないのだ
だが其れも又微妙なずれが有ると今はその時期じゃ無いとサラッと諦めてしまう
其の変わり身の早さまで縁だと感じているのだから困ったものだ
人から見ればなんと出鱈目の事してるんじゃ無いかと思われることだろう
あの鬼のような姉に私のやっている事知られでもしたら又お説教の嵐に成りそうだ


言葉遊びをする積りは無いけど或る人の本を読んでいて其の出鱈目の解説があった
出鱈目の出所はサイコロの目じゃないかと言うのだ
でまかせ、好い加減、無軌道、無責任と辞書には碌な事書いてないけど詰まり私はそんな事を平気でやりだしたんじゃないのだろうか?と思うのだ
出たら 目に従う・・・まるでギャンブルだ
だから外れたら諦めているのか? 自分では全く其の気持ちが無いのだけど他人から見ればギャンブル的な生き方と思われるのは無理も無い


でもでもだ この諦めに罠?がある 
あきらめは一般的に諦めの事を思いがちだが本来の意味は明らめだ!
心の曇を無くする.明瞭に細かい所まで見る.はっきり認識する.事の筋、事情を明瞭に知らせる.処理をする
そして諦める こんな事が明らめの解説に有った


で.で.問題はここだ! 姉にお説教されたら胸張ってこう言おうと思っているのだ
私の行き当たりバッタリは出鱈目かも知れないだが其れは心の曇無くする為物を詳細に認識し様としている崇高な行為なのだど〜ってね 
意識してなかったけど迷って悩んで考えた振りして得た私の結論が出鱈目の明らめなのだから☆
それを姉に言ったとしても“又出鱈目を言う〜〜●”と一蹴されるのが落ちだろう
フンッ 其の時は諦めて謝る振りすれば良いのじゃないかとちゃんと答えを用意しているのだ


アハハ 実に馬鹿馬鹿しい話をしていると思われるかもしれない
でもバージニア、メイヨの為に言うとこの話は禅の前段階の話なのだ
気が付かなかったけど迷い徘徊して歩いて何時の間にかこんな所に来てしまったようだ
凡人の私 禅何てのは難しくて前門の寅さん肛門のサナダムシなのだけど
禅は全然判らなくても判らないと言う事が判って来たのだからマッ良いかとも思っているのだ
姉よ!出鱈目をして明らめている私を“判ってください♪”
涙で文字が滲んでいたな〜〜ら判って〜〜下さい〜〜♪ マルッ