淘汰される物に理由あり!


漫才のスタイルが変わって来たのを感じています
ボケと突込みが居て面白い事を喋る それが今までの通例でした
何時の間にかコントが増え喋くり漫才ってのが少なくなって来ました
いえ 有る事は有るのでしょうけどそれをずっと続ける人が減ってきました
売れたら違う分野に行く 漫才は単なる売れる為の切っ掛け?年配の人で其れやっているのは
大阪で吉本がやっている観光客用寄席でほんの僅かな人?


関係有るか無いか判りませんが 漫才の徒弟制度が無くなったのが目立ちます
今までは誰か師匠に付いて芸を受け継いできました 今そんな漫才師居るのでしょうか?
素人が面白いネタ引っさげてそれだけで売れたら後は一つの波に乗ってサーフィンしてるような物
岸に到着したらそれで終わり 脚光浴びてサーフィンしてますから練習する暇も有りません
岸に上がった人は其処で干されるか 違う分野に歩き出さねば成りません
もう一度泳いで沖に出て次の大波来るのを待っている人そうも居ません


人気保ったまま沖へ出る方法知らない人ばかりです 
だから一度限りの使い捨ての人増えたのでしょうか
漫才コンテストってのが増えました 
素人が審査員ってのも良く見かけます 彼等が選ぶチャンピオンは笑いの質で芸の質では有りません
当然笑いの感覚が芸の面白さじゃ無いのです 高校生の女性が審査員じゃ当然です
そんな笑いを求める人達に選ばれた人がずっと人気を継続なんて先ず無理
面白い素人芸が要求されますからそのサイクルは目まぐるしいのです
それがイイとか悪いとかの話じゃなく笑いを要求する側がそれでイイからです★


落語はネタが決まっています 話術の妙を愉しむ人多いですから同じ話で違う人の味を楽しむ
だから 徒弟制度ってのが厳然と存在すると思うのです
所が新作落語だとチョイと様子が違います 
古典には著作権ないでしょうけど新作落語は本人なり作家なりが新たに作るのですからそれを他人が話すのは違和感有りますし 
同義的にも拙いでしょ でも今はまだ混乱していて師匠の新作落語でも弟子が演じています
落語も徒弟制度無く成る時期来るかも知れません いえ 新作落語とか落語とも言えない分野での話です◎



今は芸を愛する人多く居るから漫才の客層と落語の客層違います
是は今後もその傾向続くでしょ 
確かに笑いを求めてるんですが人の違いによる芸の面白さと味の面白さ追及は今の漫才の面白さとは別の物だと思うからです


歌舞伎や狂言 もう今では立派な伝統芸として世襲制度に為る位です
魅力の違いを観客が作り上げてしまった 
それが知識人や文化人と言われる人の嗜好がそうさせ
一般人までもそれを判る人はチョイとランク上なのだと言う自尊心にも似た驕りにまでなったから?
歌舞伎や能狂言は文化人としての或いは上流階級?のステータスシンボルの様相です


落語が其処まで行くかは別にして 観客は漫才の奴等とは少し違う芸を愛すると言う自負も有るのじゃ無いでしょうか?
だから根強いのだと思うのです
桂福団治さんの話を聞いていてキャリア48年の年輪感じました
師匠の春団治さんとは芸風も味も違います こんな芸はブームには関係ない?
名刀と言われる抜き身をジッと眺めてる気に為ります 綺麗ですが紙一枚落せば二つに切れてしまいそう
切れ止んだら刃を折って使うカッターナイフとは違う切れ味です 
郷愁だけでは演芸は生き残らないと思います 魅力が無いとどんな物でも淘汰は必然でしょ
アハハ 裕次郎祇園芸者の話までは行きませんでした 明日に続くです★


使い捨ての芸の話も中途半端 所詮私の表現力はその程度です 
でも だからと言ってこの日記が淘汰されるかと言うとそうは行きません
何故なら アホをしつこくやる私には執念みたいな物有るからです 
死ぬまでアホ書いて喜んでいましょ 淘汰されるのは回りに参ったと自分が諦めるからでしょ
諦めなくっちゃいけない時も有りますがアホを諦めないも生き方かも♪
明日もアホ続けます 誰も関心も感心もしなくても最後までやってトウタッ!参ったかと自分に言う積りです☆