オサマ殺害は忠臣蔵か?


オサマ・ビン・ラディンを米軍が殺害したと言うニュースには驚きましたが
パキスタンでオサマがシールズに殺されたと言うのがありゃ〜〜?だったのです★
米軍はアルカイーダとの闘いでアフガニスタンに大量の兵を送っている事は知っていました
オバマさんの時代に成ってアフガンへ米軍増員には何が何でもオサマを見つけて捕まえる事に必死なんだろうと思っていましたしね
それがパキスタンですから驚いたのです ありゃ?アフガンで無くパキスタン?何でや〜〜って思ったのです
敵は本能寺じゃ無く 東本願寺みたいだったのでしょうか?


このニュース見て先ず連想したのが赤穂浪士忠臣蔵でした★
オバマさんは大石内蔵助になっちゃったんか〜〜?でした 
シールズってアメリカ海軍所属の特殊部隊少数で襲撃したと有りますから四十七士並の人数かも知れません
もう完全に911の報復?仕返し?敵討ち?そんな風に感じたのです★
力には力で対抗 暴力には暴力で・・・アメリカ人はそれが顕著なんですかね?
まぁ それは後程我省みず持論を恥ずかしげも無く言うとして今は一寸さて置き昨日書いたアメリカ女性からアメリカ人を検証して見たいと♪


この女性の事は10年以上の過去の日記で2度ばかり触れています
ハテナに上げるように成ってどうか忘れましたが書いているかもです♪


実はもう15年前頃 アメリカ西海岸へ始めて旅行しました 
もう余り記憶にも無い位なのですが4泊5日だったか5泊6日の観光無しの安いツアーだったと思います
でも宿泊ホテルはリトル東京都ホテルですから私としてはそう不満もありませんでした
この頃第二回目のアルコール依存症じゃなかったかと思うほど飲んでいた時です
是も甲状腺ホルモンバランスの異常かどうか知りませんが何時もテンション上がりっぱなし
自分で言うのも変ですけど精神に異常きたしていたのじゃ無いかと思うほどおかしかったのです★


レンタカーを借りてベガスまで行き一泊して戻る計画自分で立てていました
ホテルには夕方チェックイン 食事成しのケチケチ旅行ですから町内で夕食
リトル東京と言うほどですから日本人街 日本語喋る2世のお店多いですしね
食事終わってホテルに戻り最上階にあるバーで少し飲み始めたのです
男性のバーテンさんが日本人でした もう長い間アメリカに住んでいて今では英語で話した方が気持ちの伝達楽だと言うような人でした
助手と言うか アシスタントの様な女性が2名 一人は韓国人2世の若い可愛い子 日本語喋れません
もう一人の女性は30歳前後 アジア人的な部分もありますがブロンドに近い茶髪と言うか赤毛
この人が私にアメリカ人ってこんな感じなの〜?と後で思わせた日本語喋る美人さんでした♪
韓国系の可愛い娘はカッコイイ黒人の若い男性と私達客の居る前で濃厚なキスするんですからね へぇ〜是がアメリカ?って思いました♪


時差ぼけも有ったのでしょうしアルコール依存症かと自分で感じる変な精神状態の時ですしね 初めてのアメリカ旅行にハイに成ってました
そう飲んだと思いませんでしたが後で聞いたらバーボンのボトル1本近く開けていたのだそうです
でね 酔っ払って背の高いカウンタースツールから仰向けに転倒 カウンターの足を乗せるバーに足引っ掛けていて足の骨に皹が入っちゃったのです★
その美人女性が肩を貸してくれて部屋まで運んでくれたのだそうです
次の日 近くの病院で手当てして貰ったのですがそう大した事も無くビッコ引きながらでも歩けます
でも500km有るベガスまでの運転はとても無理 急遽変更してリムジンカーチャーターで市内観光です


そして その晩もホテルのバーで飲み始めたって訳です
前日は余り口も利かなかった女性ですが部屋まで連れて行ってくれた人ですしね
お礼も言って急速に仲良く成ってしまったって訳です
色々 珍しいアメリカの話も聞く事出来ましたしその女性の 身の上話なども教えてくれました
お父さんがペンタゴンの高官 お母さんが日本女性 独身女性かと思っていたその人は結婚もしてらして
お子さんが小学生だったか来年入学だったか ご主人は商売をやってらっしゃるとかでしたが
しょっちゅうゴルフで余り家庭は上手くいかずそれでバイトをしているのだ ってな話でした 
親父さんがペンタゴンの高官ってのはギロッでしたけどね そんな娘さんが何でホテルでバイト?です★


日本語は書け無いみたいでしたが喋るのは流暢です アジア的な雰囲気したのはハーフだったからだったのです
まぁ 今夜は前日の事もありますし酒も適度 私の怪しげな英語交じりの面白い話で盛り上がりました
ロスは3泊でしたから3日間連続でバーで飲んでいた事になります
私の事も正直に話していました 設計事務所止め×1の建築会社に勤める安サラリーマン
金沢でアパート借りて年老いた母を実家に一人住まいじゃ具合悪いから一緒に住んでいると言わなくてもいい事まで喋っていました
帰国してから聞いて置いた住所へ世話になったお礼状を送って置いたのです
又 日本来る事あれば是非訪ねて下さいとまぁおざなりの挨拶でした♪一週間後に手紙お礼の一度電話がありました
それで一件落着!・・・・の筈でした 


所が 半年した位でしたか突然その彼女から電話が入ったのです
『ハロー木村さん♪私よ! 着いたよ〜♪今成田から〜〜そっち行くねぇ☆』・・・ポカ〜ンです なんじゃろかと思いましたよ★ 
あはっ是って如何考えても変でしょ?日記長くなりましたこの後編は又明日〜〜☆アイヤ〜アイヤ〜♪