電車の中から不思議な煉瓦造の建物を見たのです
台風が去り天候も雨の心配無いだろうと疲れ未だ完全に取れてないのですけど
髪をカットしその不思議な物何かを確かめに行ってきました♪
京阪電車の宇治線 宇治駅の手前黄檗(おうばく)という所にそれがあります
低い山がグッと近づき如何にも郊外〜〜って感じの場所でした
自衛隊宇治駐屯地でした こんな所に自衛隊の駐屯地有るってのも知りませんでした
門は休日とあって閉鎖してます
建物は敷地の大分入った所に有り樹木が多いし上手い撮影ポイントが見つかりません
門のそばに衛兵詰め所があり迷彩服の隊員が数名いらっしゃったのが見え通用門開いていたので中に入って見ました
煉瓦造の建物に興味が有るので写真撮らせて貰えないかと御願いしてみました
若い隊員の人が好意的な感じで応対して下さり上官でしょうか問合せてくれました
恰幅の良い彼等よりも少し年上の人が現れ
“平日にいらっしゃい 見学もOK 他にも煉瓦造の建物多いですからそれらも多分撮影許可出来ると思います”
なんて嬉しい事言って呉れました
近い将来 いそいそと又来ようと思っています♪
その衛兵詰所から写したのがHPの表紙の写真です
私自身 戦争はしてはいけない事と硬く思っていますが自衛隊の存在は必要だと思っています
国を守るという意思持たない国家と言うのは有りえませんし自衛隊の存在は災害の時どれほど心強く感じたかもしれません
外に世界平和の為と撃って出る政治家のまやかしには納得できませんし
自衛の為に戦争しなくちゃならないなんてそんなお粗末な外交は有っては成らない事ですけど
国民や国を守ると言う姿勢は内外に示すべきです
危うい方向に行かなければ自衛隊の存在否定はしません
就職感覚で勤務している隊員かも知れませんが私は立派な公務員として彼等見て居ます
舞鶴でも此処でも隊員の人はとても礼儀正しく感心して見ていました
世間知らずの私 黄檗って何処かで聞いた事あると漠然と感じていたのですけど
この間円生の落語に宇治の話出てきまして宇治には平等院が有り世間に知れ渡っていますけど
黄檗山萬福寺ってのは見といて損の無いものだ 何て事言ってました
そのお寺がこの地に有ったのです 知りませんでした
余り寺社ってのに興味無いのですけど折角此処まで来たのですから行って見ました
1661年隠元と言う中国の明の僧が日本に来て開山した寺だそうです
建築当時の七堂伽藍の配置がそっくり残っている日本では珍しい物だと案内に出てました
寺全域が重文で23の重要文化財に指定されて居るようです
そう言えば建物自体も屋根の軒先の反りが強く奈良や京都で見る建物とは少し違います
中国で見た寺院ほどじゃ有りませんでしたけど何処となく言われてみれば中国感じます
そう観光客も多くなく広い境内は閑散として静寂です アハハ禅の修業には持って来いかも
修行僧が10人ばかりだと聞きました
若い僧が何人か姿見せていました 皆さん粗食だからか?痩せてガリガリ! 修行のハードさが忍ばれます
片や自衛隊で勤務する青年 もう一方で無心に為る事で平和の世界を求める修行僧
少し暑くなって汗ばむ境内で法堂の版木(巡照板というのだそうです)ぼんやり眺めて複雑な思いに埋没してました
謹白大衆・・・きんべだ−ちょん
生死事大・・・せんすすーだ
無常迅速・・・うーじゃんしんそ
各宜醒覚・・・こーぎしんきょ
慎勿放逸・・・しんうふぁんい
僧はこの諷経(ふうぎん)を朝晩3度ずつ読み上げ5箇所に有る版木を打ち鳴らして1日の始まりと終わりにするのだそうです
この句の意味は 謹んで大衆(修行僧)に申し告ぐ 生死は事大にして無常は迅速なり 各々醒覚して無為に時を過さぬように
と修行僧の心を戒めているのだとか
アハハ エロ惚け親父の私に言われているようでした
是だから 禅は入口から中覗くだけで入り込むのが出来ません
いや私に出来そうに有りません 悲しいことですけど 涙ッ