空間と時間と気持の無駄


建築をしていて感じる事だが贅沢な雰囲気の家と言うのが在る

勿論金に明かせて作った大きな家、高級な材料をふんだんに使っての家は豪華である

それはそれは勿論贅沢だがごく普通の家でも贅沢を感じるってのが有るのだ

私が思う贅沢はちょっとした空間の事だ

豪華だけが贅沢って物でも無い気がする


例えば京都の町屋の様に鰻の寝床みたいな奥行きの在る家は風通しと採光が取り辛い

そこで建物の中央辺りに庭を採るお宅が在る

生活する上では有った方が便利 だが生きていく上では必要ない空間かもしれない

だけどその庭が在るだけでその建物にゆとりが生まれてくる

そのゆとりが家全体を贅沢な感じにしてしまう気がする


部屋が只広くても贅沢だと思えない 

最近は矢鱈そんな建物も多いが不必要な只広いだけの空間はだらしなく寒寒とした感じを受ける

浅くても床の間がある部屋は其処に一幅の絵が掛けられるだけで奥が有る贅沢な空間に成ると思うのだ

現代人が無駄と思う空間が実は安らぎと落ち着きとゆとりを産む事を多くの人が忘れてしまったのじゃないだろうか?


時間にも同じことが言える

目の廻るようなビジーの状態でホッとお茶する短い時間 それはゆとりと言う贅沢を味わえる

だらだらした長い時間 是は実に訳悪い 私なんかそんな時間が有ると碌な事してない

絵に描いたような”小人閑居して不善を為す“なのだ

忙しいから僅かの空白の時間が生きてくる 

それは建物の無駄と思える空間と本質的には何も変わらないのじゃと思う


もっと大事な空間は気持ちの空間じゃないだろうか?

ギチギチに張り詰めた気持ちは他の物を受け入れる余地が無い

些細な事に尖がった神経が反応する 入り込んでくる情報や思いを排除しようとする

それは理路整然と格納された気持ちは潔い生き方に通ずるかもしれない

愚かな意見や誤った考えを拒否し、それで良い自分の進む方向は是一本だと納得してる

一見非の打ち所が無いように見える 

だけど私にはそんな人は面白くないのだ 
とてもじゃないが付合いたくないし立派かもしれないけど尊敬も出来ない


気持ちの何処かに無駄な部分有って新たな無駄も吸収する人

是がゆとりある贅沢な気持ちの人・・・言い方悪いな● 

リッチな気持ちの人心広い人◎そう思えるのだ

人から見れば存在している事が即ち無駄の様な私が考える事だから是も無駄かも知れないけど

無駄だからって生きていかなくちゃいけない

無駄な人間だからって愉しく生きたいじゃん 

だから少しだけ無駄な空間と無駄な時間と無駄を受け入れる気持ち持てば

ゆとりと言う贅沢持つ人間に成って愉しく生きていけるんじゃ無いかと思うのだ

アハッ しかし私は全部無駄な空間で全部無駄な時間で全部無駄な気持ちの持ち主みたいだけどマッシャー無い

それが私でそんな生き方しかして来なかったのだから、でも愉しいからそれで後悔してない

これからぼちぼち無駄な空間と時間と気持ちを一寸ずつ埋めていけば良いのじゃ無いかと思っている マルッ