京都御苑を歩いて思った事★

昨日の日記に書きましたが京都御所辺りは昔公家の屋敷がずらりと並んでいたと聞きます

公家って天皇の血筋を多少引いている人と理解してますけど其の血の濃さで家柄か格という物区別有ったのでしょう

ちょいと調べてみると

摂家 清華家 大臣家 羽林家 名家半家(諸大夫家)等が家の格として存在してたようです

天皇家直系の2男、3男などは今でも皇室ですから昔でもちょいと他の公家とは違うんだぞと威張っていたのかも知れません

昔なら公家達もハーレムの一つは持っていたでしょうしオテカケさんに生ませた子供も血は血ですからそんな子も格下貴族として

うじゃうじゃ御所の公家町に住んでいたのだと勝手に想像しています

鎌倉時代になって武家社会来ると食うにも困った貴族たちがわんさか出て市井に溶け込んだのでしょう


京都の町を歩いているとなんかそれっぽい名前の表札掛かった家を良く見ます

近衛、姉小路、三条、九条、醍醐、嵯峨、西園寺、武者小路、冷泉、東久世、有栖川、鷹司なんての見るとここんちの人ひょっとして昔は貴族?何て思っちゃうのです

もっとも明治に入って戸籍法が制定され一般庶民も苗字が定められた時 貴族社会に憧れる人がそれを名乗ったのも多くあるのでしょうけど?

三条宗近なんて刀鍛冶昔居たそうだが私なんか食えない公家が刀工に成ったのでは無いかとずっと思っていた位です

武家社会になって旗本の次男.3男なんてのは食うにも困って内職して糊口を凌いだそうですから貴族。公家と言ってもなんら収入が安定している訳でもなく

生活には苦労したのでしょう 


嘘か真か知りませんが堤康二郎が食うに困った旧貴族の不動産を安く買い取りプリンスホテルの元を築いたのだと聞いた事が有ります
アハハ 其の息子がまるで古い公家のような言動だったと聞き及び笑っちゃいました 長野オリンピックでは転脳(天皇)でしたもんね★

私先年 岩清水八幡宮で居合いの大会を見学いたしましたがその時の居合い道の総裁が旧皇族のお人でした

大会長○○殿下と麗々しく書いてあり一体なんだろうと怪訝に思った記憶有ります


庶民はそう言う公家や貴族に憧れ持つのか?はたまた権威を感じているのか看板として利用したがるようです

それが高じると自称貴族を名乗り遂には天皇だと名乗り揚げた人も出る始末 居ましたね 熊沢天皇だと言っていた人が♪

遂最近でも自分は皇族の出身だと言って結婚式を挙げ祝い金騙し取った詐欺師が★

そんな輩にでも近寄る有名人や一般人居るのですから笑っちゃいますけど
毎年宮中参賀に大勢の人押し寄せていますが私にはどうも理解できません 親戚でもあるまいに★
アハハ こんな事言うと右翼に狙われちゃいますか?皇室のことは喪失しときましよ♪


日本には苗字が100万越すと何かで読んだ事有りますが実際はどうなんでしょう?

中国などはほんの数千 李.王.張.劉.陳さんなどが多いと聞いています

もし 今日本で苗字を変えても良いと成ったらどんな姓が出てくるのでしょうか?

半分以上の人が改姓するんじゃないかと思いますけどね

価値観多様の時代ですからカタカナ語、英語、数字 はたまたネットで使われるようなIDみたいな物?使われるでしょうね

それと語呂の良い旧公家の苗字 きっと根強い人気有るのじゃないかと思います

日本で只一家族だけ苗字の無い天皇家真似して名前だけのお人ってのも増えるかも♪

ミーハーな私 姓名ひっくり返しの アントニオ、木村。jrなんて平気でつけちゃうかも

貴族には興味なくても希属には憧れていますから★


アハハ 話混沌と致しましたが昨日四条司家本部なる看板見てそんな事思った次第です

何なんでしょうね?しもた屋風の家でしたけどショーウインドー見たいな物玄関の横にありましてね赤鬼の大津絵が一枚飾って有ったのです

何れ今日の写真のページに載せますが京都の町 そんなものが彼方此方に転がっているように感じるのです

神社仏閣に余り興味ない私ですが歴史ある古都はそれ以上に興味溢れる物ある奥深い町だと思う訳です

観光業者のような糞坊主の寺見なくても京都は私にはとても面白い町です なんせこちとら喜賊趣味なんですからニコッ♪