流石お金持多い芦屋☆


穏やかな天気 空気もカラッとして心地良い

こんな日は家にジッとしてちゃ体に毒だってんで芦屋に行って来た

阪急電車芦屋川で下車 先日武庫川学園で知った芦屋の山邑邸ってF・L・ライトが1918年に設計した建物を見に行ったのだ♪

今はヨドコウ迎賓館として一般公開されている

元々は山邑さんと言う方の別荘として建てた物だ この人は灘の老舗櫻酒造の社長だった人だそうだ

1924年に弟子の遠藤 新や南 信(みなみ まこと)に依って建設されたらしい

1974年に国の重要文化財と成り1985年大修理・阪神淡路震災の修復後一般公開されている


小さな山の中腹に建っていて土地の高低を生かした4階建てのRCの建物だ

視界を遮る物が無いから景色は抜群 芦屋浜の海や神戸も一望

尤も この辺りは六甲山の山並み背後に控えた高級住宅地だから眺望の良さは折り紙付か♪

如何にもお金持の家と思われる瀟洒なお宅が彼方此方に建っている


元々は完全洋風建築で設計されたそうだけど施主の意向で和室に変更された部分も有るのだけど

開口部は洋風のまま そのコラボが又面白い雰囲気を出している

欄間にまで緑青吹いた金属板を並べてあったり明かり取りと換気を兼ねた200mm角の小窓が並んでいる所など武庫川女子大と同じ様なパターン

是はライトの趣味じゃなく遠藤さんの意匠か?

大谷石をふんだんに使った外壁はそれだけでお金掛かっているなぁ〜って思わされる

山の斜面にそのままの地形生かして建っているからシャー無しに4階建てに成っちゃったってそんな感じだ

作り付けの家具や移動家具・天井の装飾 細かい所までライトは全て自分で設計したそうだ

当然照明器具までもその範疇なんだろ☆


レトロな雰囲気は有るにせよ今でも充分通用しそうな照明器具も多い

知らなかったのだけど帝国ホテルの設計で日本に6年間も滞在してたのだそうだ

その帝国ホテルが天皇の意向と言うのも始めて知った 

大正天皇と言うのは赤坂離宮でもそうだが巨大西洋宮殿建築に憧れ持っていたのかね♪

天皇が出資して民間ホテル建設なんて何だか笑っちゃうね 

ライトの作品でも特に大型の物件で代表作と言っても過言では無いらしい

私は明治村に移転したロビー部分しか知らないけど結構大きい物と思ったが帝国ホテルの全体からすれば1/10以下の巨大建築物だったらしい


関東大震災にもそう大した損傷受けず破壊しなかった建物を 時勢とは言え壊しちゃうなんて勿体無いね

日本では東京の自由学園明日館とこの山邑邸と帝国ホテル社長だった林愛作氏のお宅と4件しかないそうだ

20世紀を代表する建築家として名を残しているそうだけど是を機会にどんな人か調べてみた


来日する直前 施主の夫人と不倫の恋におち駆け落ちしていて事務所も閉鎖

帝国ホテルは彼にとっても起死回生の物件だったようだ

所が 予算超過と工期の延長でトラブルも多くホテルの完成を待たず帰国の羽目に成ったのだとか

自分の宣伝も上手く確かに才能も豊かで批評家も建築家も絶賛はしているが偉ぶっていた面も見える


自分を世界一の建築家と豪語して居たらしい 

で.世間は私が世界一の建築家だと言った事を批判しているようだが世間が言うほど私は傲慢じゃ無いと思っている・・・なんて後年言っていたそうだ 

アハハハ こんな凄い建築家も居るんだね 確かに天才なのかも知れないけどこんな事抜け抜けと言う親父

私ならカケヤで頭コツンだね

でも一旦歴史にその名を不動にした人 今ではそれも伝説の凄い親父なんだと思うけどね

でも私ゃ好きに成れないタイプの親父だね★ハンサムなイイ顔付なんだけどね

孫娘がアン・バクスターだって じっちゃんが美男子だもん孫だって美人だわさ☆


見学後 芦屋のその辺り眺めて歩き回ったけど幾ら高級住宅地か知らないけど急角度の坂道ばかり

年取ったら住む所じゃ無いね 何処へも歩いていけないだろ★

アッ この辺がビンボー人の考える浅はかさか? 其処に住む人は運転手付のお金持だという事忘れてたぁ〜★

しかし 歩いていて思ったんだけど自分の子供に小さい時からこんな場所見せて

世の中にはこんな所に住む人も居るんだからねと教育しとかなくちゃと思う町だったね

子供が今に俺もこんな所に住んでやるんだと自覚させなくっちゃね そんな事思っちゃったよ 

そう言えば私子どもの時にこんなイイ住宅地や豪華な建物って見た事無かったもんなぁ〜〜今更言っても遅いけどそれが拙かったよ パタッ★