3条京阪を降りて少し距離は有るが歩いて一条戻橋まで行く事にした
風は強く冷たいのだけど快晴 陽の光は燦々 歩いて少し汗ばめば実に心地良い
堀川通りまでひたすら大通りを避けて歩いた
結構地図も確かめて今では京都の様子も判ったのだけど長い間堀川通りってのは京都の東西方向に有るのだと思っていたんだ
南北だと知ったのは昨日ネットのマップで戻橋の場所を調べていて始めて知った
昭和30年代の終り頃までこの通りには市電が走っていたのだと言う
子供の折来た時その市電に乗った記憶が微かにある 堀川も今よりずっと大きかったように思う
今では河川は改修され川沿いの通りはもう一種の公園の様相 川は低く成っているから川沿いに植えてある桜は見上げる事になる
八重桜が満開だが緑の葉っぱも最早一杯出て桜も申し訳無さそうに花びらを落としている
川は幅2m 深さも10cm余りの小川に成ってる
でも結構落差有って水はせせらぎと成りその桜の花びらを透明の水に乗せて急いで流れている
そんな所歩くんだから気分が良い事この上なしだ 観光コースでも無いから若い夫婦連れが赤ん坊を乗せた車を押してゆっくり散歩
地元に住み着いているんだろうと思われる外国人夫婦がその桜を見ながら笑い浮かべてぶらぶら・・・実にいい光景だ♪
戻橋を境に上流はまだ未整備 戻橋がその昔あの世とこの世の境界と言われていたのを現実で見るようで可笑しかった
或る学者の息子が親が死んだの報に驚き帰って見ればこの橋の上で丁度親の葬儀の棺に出会った
嘆き悲しみ神仏に懇願したら親が蘇生 それで戻橋と言うのだと伝説が有るそうだ
今では何の変哲も無い橋だけど曰く有りげな橋名とその伝説にフムフムそかと一人悦に入っていた☆
是も全く知らなかったのだけどこの辺り一体を西陣と言うんだそうだ
京都には西陣と言う町名は無い 言うなら西陣地方だ 応仁の乱の際 一方の軍がこの辺りに陣を構えて西陣と成ったとか
堀川がまだ川幅も水量も大きかった頃 友禅の洗いをそこらじゅうでやっていて川の水が染まっていたそうだ
その西陣の中心地がこの辺り その所為か西陣会館て大きな建物がある 勿論入ってみた☆
西陣資料館も兼ねているとあるが 見た目は外人観光客相手のお土産屋さんて感じが強い
入ってみれば本日は日本人なんてほんの僅か 西洋人も見えるが殆どは台湾の団体さんだ
それらの人見て思い出したんだが 私がツアーで台湾や中国へ行った時必ずお土産屋さんへ案内された
其れと全く変わらない光景が目の前に有るんだ 西陣会館だから免税店でも無さそうだけどなんか其れっぽい
日本人観光客も来るんだろうけど観光バスは成田ナンバーとかバスにジャパン何とかって書いて有る様な物ばかり
地元の人が来るような雰囲気でも無さそう 着物ファッションショー成る物があって見てたんだけど案内が北京語だもんね
まぁ滅多に見られないもを見れたんだから何か外国旅行を日本でしている気に成ったよ☆
この寺院は臨済宗の本山 塔頭(たっちゅう)と呼ばれる寺院を幾つも抱える広大な寺院だ
余り寺には興味無いんだけど この寺は承天閣って美術館を持っていて京都縁の画家や工芸家の展覧会をやっているんだ
今は柴田是真(1807−1891)って幕末から明治にかけての漆芸家或いは漆絵画家の展覧会をしている 其れを見に行ったんだ
見よ!この超絶技巧を・若冲の次は是真だ!の惹句に引かれたのだ
漆絵って見るの初めてだしね 余り漆芸なんてのは興味無いんだけど色漆で絵を描くなんてのはお目に掛かった記憶余り無い
まま それなり見事な物で感心したんだけど これらの作品がアメリカ人のコレクションなんだそうだ
アメリカ人て見る目が有るのか東洋趣味か日本趣味か日本のいい作品をしっかりコレクションする所なんざほんとに憎いね◎
日本人がそう見向きもしなかった浮世絵ごっそり持っているのは外国人や外国の美術館だしね ニャロメッ!
さてそれで又歩いて出町柳まで カメラぶら下げて歩いていたら途中で大柄な外国人の若い女性に何故かにっこり笑み貰ってね♪
其れが 私好みの又可愛い子☆☆☆ ってブロンドの巨乳の可愛い子なら皆私好みなんだけど ゴメン!
もう何が何でも写真写させて貰ったよ 言葉通じないし疲れてふらふらで軟派も出来なかったけど惜しい事したな ゴメン!
余程此処に乗せたいんだけど許可貰わなかったしね 残念ながらボツ!替わりに着物ショーの写真載せとく
こっちは撮影OKだったしね♪すっかり一日京都見物観光客してきたけど良い物見れて奇麗な女の子見れて京都ってほんと私大好き ニコッ♪