過去を振り返って将来を妄想する♪

2017・07・11 火 晴 31.5度 14:00現在


もう 余命も幾許も無いだろうし私が生きた時代はどんなだったかメモ代わりに留めて置きたい♪
過去振り返るってのも後悔する様な事ばかりで情け無い思いするかも知れないが 惚けて忘れてしまわない内に書き残す☆
パソコンが誕生しそれに連れて通信が大いに変化した激動の時代だったのじゃ無いかと想っている 昭和維新だった気がするのだ
何か年取ってからが世の中ハチャメチャに成った気がしないではないが骨の有る政治屋が皆無だったから・・・そう想う▼
自分自身は負け組だったかも知れないし幸せな生活をずっと送ったと思って居ないが 個人的には波乱万丈の生活だったし
それなりに面白かったので自分で許している♪


1942年8月生まれだから日本が無謀な第二次世界大戦をやり始め敗戦の気配が濃厚な時期だった
でも 空襲や戦争の怖さも体験していない 体験していたのだけど幼くて覚えていないのが幸せだった
世界各地でその後も幾つもの争い見てきたが日本が其れに参加しなかったのがせめてもの慰めだ
今頃に成って平和だ・世界貢献だ防衛だといいながら自民党が何かきな臭い方向に進めようとしているがもう私には如何でも良い事だ
もう僅かの命 死んだ後は日本が又侵略戦争始めようと日本人全滅しようと国が無くなろうと知った凝っちゃ無い
是からの日本は是から人が守っていく事 不戦の憲法廃棄して戦争したけりゃ勝手にやればいい
武器が進歩し?国同士の戦争は地球滅亡する様なそんな破壊的な戦いに成ってしまうと思っているのだ
世の中も変ったが戦争のやり方というか 戦略が一変し今までの戦い方なんて通用するはずが無い 其れに気付かず無駄な事準備している気がする


是から 一つ一つ記録して行く積りだが初っ端は電話について書いて置きたい♪
家で電話を初めて付けたのは小学校の高学年の頃?はっきり覚えていない未だそう電話機が普及しない時で
ハンドルをグルグル回して交換手を呼び出し繋いで貰うスタイルだった 姉が当時の電電公社の交換嬢をしていて他の家より少しは
電話の事も解っており向かいの家と甲・乙で2軒で共同で使うタイプのものだった
親父が建築板金の仕事をしていて有れば便利と職業用の電話が必要だったのだ 
自分では別に誰に掛ける事も無かったし電話を使った記憶が無い ダイヤル式に成ったのは何時だったか覚えても居ない


東京に居た30歳の頃NTTが始めて携帯電話とFAXの実験公開って言うのを東京駅の近くで行っていた
部屋の内側に金属板が張ってあり其れがアンテナの代わり 受話器も虎屋の羊羹4本束ねた程度の大きな物 
結構重量も有って持ち運びに便利な様に肩から下げる紐が付いていた 電話機というより無線機ってな雰囲気だった
是から主流になると盛んに宣伝されていた FAXも有って電話で手紙を送れるって凄い時代が来るんだなとビックリしていた
実際に其れが世の中に出回ったのはもっとずっと後だった 少しは小さくとらや羊羹2本分に成ってデビューだ
1970年後半からそろそろ市中に出始めたが何だか値段が途轍もなく一般人が気軽に持てる物でもなく殆ど知らない
出始めの頃は電話を持つのは一種のステータスシンボル?これ見よがしにおっさんが大声で喋っていた記憶が有る
日記長くなるので後は明日だ ゴメン!