旧盆墓参帰省を終えた人が都市に戻ってくる頃を見計らって田舎へ墓参に行く
墓石の前なら先祖の霊が喜んで居る?霊の存在なんて信じない私には実は墓参りなんて余り意味が無い
墓石やその下にある骨壷に入った炭酸カルシュームに手を合わせるなんて私にはナンセンスな行為にしか思えないのだ
じゃ何の為に墓参と称して田舎帰るかと言うと私に取っては実に恐い姉の為に仕方無しに行くのだ
生れてきた以上は大事に生きたいと思うし両親に対する気持ちは世間の人並み以上に深い積りだ
産んでくれた感謝の気持ちは薄いかも知れないけどそう目だって粗悪品でも無い人間に育ててくれた事には多大の感謝と尊敬の念抱いている
特に親父に関しては世界中で一番好きな人だったしね 子供の時から親父が死ぬ瞬間までだ 勿論今も親父の思い出は燦然として輝いている
お袋だって親父の次に大事な人 恩義と言うのでも無いけどそう親孝行も出来なかった自分が悔しく成る時が今でもちょくちょくある
その親父の事チョイと書いて見たい♪
実は余り詳しく親父の過去って知らないのだ
私自身が余りそんな事に興味持たなかった所為からかそれとも親父自身が余り話したがらなかったからかほんの断片的だけ
親父は奈良県で生まれたと聞いている 樫原神宮の近くに浮穴とか言うちっぽけな町があるそうだけど其処だと聞いている
この辺りはメリヤス工場が多いとかで実家も零細のメリヤス工場だったとか
妹が2人居たらしい 一人のおばさんは私も2〜3度逢った事が有るがもうお一人は若くして亡くなったのか聞いた事も余り無い
実家が貧乏で子供の内に丁稚奉公したらしい それが大阪のブリキ屋さんだった
その当時の事は一度も聞いた覚えが無い 聞いていたのかも知れないが全然記憶に無い
親父の事で知っているのは日亜製鋼と言う会社の営繕で板金の仕事をして居たと言う事と戦時中軍属として海南島に居たそれだけである
子供の時小僧として働いていて義務教育もまともに受けていなかったのだろう
文字は読み書き出来た見たいだし計算も足し算・引き算はこなしていたがチョイと難しい計算はして居たのを見た事が無い
文字もお世辞にも上手いと言えないし余り文字を書きたがらなかったしね お袋が請求書を何時も書いていた
新聞は実に丹念に読んでいたが社会情勢や政治の事は決して自分から人に言う事は無く そんな話題にも立ち入らない人だった
親父もお袋も再婚同士だけどその前の奥さんやお袋の旦那の事も私がかなり大きくなってからチラッと聞いただけ
だから 親父やお袋の過去なんて私には殆ど知らない事ばかりなんだ
興味も全く無いなんてのも変な話だけど人の詮索しない気持ちは例えそれが両親でも一緒 それが今に続いているのかも知れない
人の出会いは今からと今後 その人の過去は無関係 そう言えば親父もそんな考えの持ち主だったかも 遺伝かね?
親父とお袋がどんな経緯で結婚したのかも知らなければ 親父が何故お袋と結婚する前に石川県の片田舎に居たのかも知らない
結婚してから何故大阪へ戻ったのか 私が知らなくても姉は知っているだろうから今度帰省したらきいとか無くっちゃ★
アハハ 今頃こんなアホな事言ってる 私に取っては如何でも良い事なんだけどね 知らないのも変な話だよね●