学者としての偉大なお人♪画家だったら世界的?

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えぇ〜本日の日記には関係ありませんが大阪気象台何と言おうと大阪地方昨日より夏に成りました 私が宣言します◎


さてぇ建築史家が建築設計ってのは えっ?そなの何でェ〜?って気がしないでも有りませんが藤森照信さんも確か専門は建築史家 
そのお人が2000年に学生寮建築学会賞を受賞する建物を設計するのですから別に拘る事無いのかも知れません
大学で建築の事を勉強し基本的な知識は豊富でしょうしちょいとした建物の設計何てのは朝飯前?
まして 素人同然のヴォーリズでも仕事で技術と知識を高めたのでしょうから驚く事も無いでしょう
 

勿論 才能が有るから出来る事なんでしょうけどね♪
昨日の日記にチラッと書いた伊東忠太は奈良少年刑務所の設計者山下啓次郎さん(音楽家山下洋輔さんの御祖父さん)と同期 先生は辰野金吾さんです
明治の頃 日本に西洋建築が入りだして来たのは殆どが外国人設計家主体 英国人コンドルが日本建築家創世記の頃の先生ですかね?
京都にはアメリカ人ガーディナー(1880年来日)の設計の建物も彼方此方に有りこれ等は私も結構見て歩きました
同志社のクラーク記念館(1892年)はドイツ人のリヒァルト・ゼールと言う人だそうですしね
スペインの鬼才 アントニオ・ガウディは1880年辺りから建築家として活動始めています♪


アハッ なーんも知らん私が別に外国人設計家の薀蓄語ろうってんじゃ無いのです★
伊東忠太のもう一つの感心する事 それを言いたいばかりに是を引っ張り出したのです
伊東忠太というお人は勉強家でそれは英語も堪能・外国の建築図書もよく読んでおられたとか 当然世界の建築の動静にも詳しかったでしょ
その彼が平安神宮の工事終わって何年か後(1902年)外国へ建築の勉強に旅立っています 
その目的地が欧米主体でなく中国・インド・トルコ・・・是にはあぁ〜〜♪何です


まぁ 当時としては建築を志す者は留学する事なんて必須条件だったのかも知れませんが今なら欧米を中心にするのが当然?
それが アジア・中近東ですからまぁ当時としては鉄筋コンクリート造がそろそろ出始めるにしても何でそこなんだぁって思います
そんな読書家で建築知識もある人なら次代はRC何て当然推察するだろうに・・・私には判りません★
山下啓次郎さんは1903年 一年位欧米の監獄を視察し日本の5大監獄と言われる物を全てレンガ造で建てて居られるようです
もう その頃から町医者じゃなく白い巨塔を目指した人かなと私は思ったんです 流石妖怪愛好家♪
設計家じゃなく学者に・・・だから建築設計なんてそう力を入れなかった 
大阪公会堂のコンペ応募作図面見ましたが実にシンプル デザイン重視とはとても言えない代物の様な気がします


写真を見ても如何にも教授ぅ〜〜〜って顔つきですしね 建築設計家なんて押しの強い商売人じゃ無いと成功しないでしょ
誰とは言いませんが世間に名の知れた有名建築家は皆さん灰汁の強い顔です あははは 言い過ぎですかね★
日本ではチョー有名なライトや安忠さん何て・・・まっ止めときます★恐れ多い〜〜〜●
政治屋新興宗教教祖と建築家・・・・大物に成るには一脈通ずる物が在ると思うのはエロ惚け爺のヨタですかねぇ●
それにしても 忠太の妖怪を模写しようとよく見て見ましたがスピルバーグはET作る時 
忠太動物園絶対見たなっ!って私 そう思いました♪
何で建築なんかやったんだよ〜妖怪画伯に成れば世界の文化勲章貰える人だったのにぃ〜〜と私は今そう思っています ニコニコ♪


でも この伊藤忠太ってお人を発掘?し私の徘徊と称する近代建築探訪趣味とへぇりてぇ爺淫愚に導いた藤森照信って先生も
この先只者で終わりそうに無い人物だと確信にも似た気持ちを抱いています ニヒッ♪